03.目覚めて気づく


ヒュンケルが、倒れた。 戦えない身体になってからも世界の復興のために、と 献身的に世界を飛び回っていた そのときだった。 アバンが国王を務めるカールにヒュンケルは運ばれ、 治療がほどこされた。 倒れた直後は回復呪文を受け付けないほど ヒュンケルの身体は衰弱していたが、 次第に回復の兆しをみせ、なんとか体調は安定した。 2日後。 白濁した意識のなかからぼんやりとヒュンケルは目を覚ました。 重いまぶたをこじあけて状況を把握しようとあたりを見回す。 隣にマアムが座っていることに、気づいた。 マアムはもくもくと本を読んでいて、ヒュンケルの視線には気づかない。 理解の追いつかない頭でヒュンケルは自分が 今ここでこうしている経緯について考え出した。 「あっ!ヒュンケル、目が覚めたの?!」 数日前のことに記憶がさかのぼった時、 ようやくマアムはヒュンケルに気がついた。 「ごめんね、読み始めたら夢中になっちゃって・・・。 ずっと前から目、覚めてた?」 ヒュンケルは小さく首を横に振った。 目が覚めたのはほんのさっきのことだ。 「ヒュンケル、ロモスで倒れたのよ。覚えてる? ひどく衰弱していて・・・2日間も意識がなかったの。 まだ、どこか、苦しい?」 心配そうなマアムに、ヒュンケルは笑って大丈夫だと応える。 「本当?無理したら、だめよ」 どうやらヒュンケルの意思が伝わったらしいマアムも ほほえんでヒュンケルを見つめた。 マアムはヒュンケルの額に置かれていた濡れタオルをとって、 横の棚に置いた水をはった桶の中でタオルを濡らしてしぼる。 その濡れタオルをまたヒュンケルの額にあてた。 「水、ぬるくなっちゃったから替えてくるね」 水桶を持ってマアムは立ち上がった。 「・・・すまな・・い」 ようやく発した声は嗄れていた。 ドアノブに手をかけていたマアムは立ち止まって振り向く。 「いいのよ。気にしないで、ゆっくり休んで」 そっとマアムはほほえんで、部屋を出た。 桶に入った水をこぼさないようにゆっくりした動作でドアを閉めて、 顔を上げると、ちょうど部屋の前にポップがいることに気がついた。 「ポップ!どうしたの?ヒュンケルのお見舞い?」 「そんなんじゃねぇよ!」 ポップは思い切り嫌そうな顔をして抗議した。 「先生に用事があったから、たまたまカールに来てただけだ」 「そう」 「あいつ、もう目ぇ覚めてんの?」 ポップはマアムが出てきた扉を指差して言った。 「うん、ちょうどさっきからね」 「ふーん」 興味なさげにポップは鼻を掻いた。 素直じゃないんだから、とマアムはひとつため息をついて笑う。 「私ちょっとお水かえてくるから、その間ヒュンケルについててあげてね」 「はぁ?なんで俺が」 「よろしくね」 ポップの抗議を聞かず、そのままマアムは歩き出す。 残されたポップは、文句をたれながらヒュンケルがいる部屋の ドアを開けた。 客間をヒュンケルのために開けたその部屋は、 広くて豪華なつくりになっていた。 部屋の真ん中に置かれたベッドにヒュンケルは、いた。 一瞬逃げようかな、と思いながらも、 ポップは近づいてベッドの隣にあった椅子に、座る。 ヒュンケルは人の気配に気づいてゆっくり目を開けた。 「言っとくけどなぁ、見舞いに来たわけじゃねぇぞ」 目が合った瞬間から、ポップの演説は始まった。 「アバン先生への使いでカールに来てて、たまたまお前の部屋の前通ったら、 マアムに会って、マアムが水かえてくる間ちょっとお前の様子見てろっていうから、 来てやったまでだ。俺はお前の心配なんかこれっっっぽちもしてなかったんだからな!」 言い終わってポップはふん、とそっぽを向いた。 「・・・そう・・か」 「あぁ、そうだ」 ポップは力強くうなずいた。 部屋の中を見回すと、見舞いの品だろう、花やら果物やらが テーブルの上に積まれていた。 「お前、腹へってないの?」 ヒュンケルはいらないという素振りを見せた。 「なら、いーけど」 テーブルの上からひとつ林檎をとって、 上着の裾で表面をみがくと、 ポップはそのまま林檎を噛んだ。 「お前が倒れたあとのロモスでの仕事はラーハルトの奴が引き継いだ みてぇだぜ。ダイに薦められてな」 がりがりと林檎をかじりながらポップは話した。 「まぁ、半死人にはベッドの上がお似合いだし、 仕事の方はラーハルトが順調に進めてくれてるみてぇだし、 お前は、安心して寝てろよ」 ヒュンケルは大きく息を吐いて目を閉じた。 「・・・そうだな」 くきと種の部分だけをきれいに残して林檎を食べ終えて、 ポップはひとつため息をついた。 「なんだよ、やけに素直じゃねぇか」 気持ち悪い、とまで呟いて、 反応がないヒュンケルが本当に眠ったのだと気づいた。 (てか、マアムが帰ってくるまでずっと俺 こいつのそばにいないといけねぇのか?) 考えながらちらとヒュンケルの方を見た。 落書きとかしてやろうかな、と一瞬考えて、 (こいつの寝顔見んのも珍しいなぁ) ぼんやりポップは思った。 その後、マアムは戻ってきたが、結局ポップは付き添うハメになり、 ふたりでどつき漫才をしながら夜通しヒュンケルの看病を続けた。 次の日の朝、 交代の仲間がやってきた。 頬にふれた冷たい感覚で、ヒュンケルは目を覚ました。 目の前に白い手が伸びていた。 ヒュンケルの汗をタオルでぬぐっている、その手の方に目をやると、 「あぁ、よかった・・・!!ヒュンケル、気がついたのね!」 エイミが目を潤ませていた。 「ロモスで急に倒れたと聞いて、急いで駆けつけたのよ。 回復魔法も受け付けないほどあなたの身体は弱りきっていて、 一時はどうなるかと思ったわ・・・!」 「・・・」 「再会するとき、いつもあなたは傷ついてベットの上なんだから!」 ふたりは数ヶ月ぶりの再会となる。 エイミは変わっていないようだな、と微かにヒュンケルは笑った。 「心配・・・かけた」 エイミはヒュンケルの手をとって握りしめた。 「本当に、よかった・・・!」 エイミが安堵で胸を撫でおろしたそのとき、 勢いよくドアが開いた。 「ヒュンケル!生きてっかぁ!?」 大声とともに部屋にヒムがなだれこんできた。 「なんだ、結構大丈夫そうじゃねぇか!」 ずかずかと部屋の中に押し入って、ヒュンケルのベッドにどすんと腰掛ける。 「ヒム・・・!」 「これ、お見舞いの花だ!俺がさっきデリムリン島でつんできたからよ!」 ヒムがにこにこと近づけた、それは 満開の、ひまわり。 太陽のような。 「早く、よくなれよな!」 そう言ってまた、ヒムはにっ、と笑った。 あまりに突然なヒムの訪問にぽかんとしていたエイミは、 ハっとして自分とヒュンケルの時間をたやすく壊してしまった 無粋な男をにらみつけた。 「ちょっと、ヒム!ヒュンケルはまだ体調がよくないんだから、 あんまり病室で騒がないで!」 「ああん?」 ヒムはエイミの方に向き直る。 「お前さん、なに怒ってんだ?」 「お、怒ってなんかないわ!ほら、もうお見舞いは済んだでしょ!」 「もう少しくらいいいじゃねえか。せっかく来たんだし、なあ、ヒュンケル?」 「ダメダメ、ヒュンケルはもう少し安静にしていなくちゃいけないの!」 「ならお前さんも出て行った方がいいんじゃねぇか?」 「私はいいの!今日は私がヒュンケルを看病する番なんだから」 「俺が代わってやるよ」 「結構です!」 一部始終をヒュンケルは穏やかに見守っていた。 「・・・ヒム」 「おう、なんだヒュンケル?」 「エイミ・・・」 「はい」 2人は口論をやめてヒュンケルを見た。 「2人とも、・・ありがとう」 昨日は嗄れていた声も元に戻っていた。 自然と言葉になった。 「おう、いいってことよ!」 ヒムはどん、と胸をたたいた。 「礼を言うのは、あなたが元気になってからにして」 エイミは真っ直ぐヒュンケルを見つめた。 ヒュンケルはどちらの言葉にも応えて、 ゆっくり頷いた。 「早く元気になれよヒュンケル!俺との再戦の約束果たしてもらうからな!」 「ちょっと、まだ戦う気!?」 「まだ決着が着いてないんだから、当然だろ?」 「ヒュンケルはもう戦えない身体なのよ!」 「こいつは不死身だよ」 「そんな人間いるわけないでしょ!?」 再び口論し始めた2人をヒュンケルは眺めていた。 ヒムが持ってきたひまわりを手にとる。 鮮やかな黄色が新緑と合わさってそこに生きていた。 根を絶たれて、なお。 (戦えなくなった身体、か) 額に手を置くと、熱が伝わってきた。 あまりにもこの身体を脆いな、とヒュンケルは目を閉じた。 ヒムとエイミの口論は続いた。 論題はほとんどがヒュンケルに絡んだものだったが、 とうのヒュンケルはまた静かに眠りに入っていた。 数十分後、それに気づいたヒムは大人しく病室をあとにし、 その晩はエイミがヒュンケルについていた。 さらに次の日。 エイミが連続してのヒュンケルの看病を申し出た。 ヒュンケルの病室のドアを2度、ノックする音が聞こえた。 すでに昼を過ぎていて、目が覚めていたヒュンケルは、 返事はしずに、視線だけそちらに向けた。 しばらくしてドアが開く。 「おや、ヒュンケルだけですか? 今日はエイミさんが看病にあたると聞いていたのですが・・・」 現れたのは、ヒュンケルの師であり このカール国の王でもあるアバンだった。 「彼女は昨日から俺につききりで一睡もしていない様子だったので 休んでもらいました」 「そうだったんですか。そうですね、徹夜は女性のお肌にもよくないですし。 あんまり女性に心配かけたらダメですよ、ヒュンケル」 にこにこというかにやにやというか。 アバンは意味深に笑ってみせた。 「・・・・国の王がこんなところで油を売っていていいんですか」 「油を売るなんてとんでもない、病や怪我で苦しむ者の気持ちも分からなければ むしろ国王失格ですからね」 ヒュンケルはため息をついた。 「それで、何の用ですか」 「冷たいですねぇ、ヒュンケル〜。私なんて、倒れた一番弟子の身が心配で心配で、 国務にも身が入らなかったというのに」 オーバーリアクション気味に悲しむ真似をしたアバンを、 そうですか、と軽く流したヒュンケルに苦笑いし、 アバンはヒュンケルの額に手をあてた。 「ん〜、熱は下がったみたいですね。 おそらく、蓄積された疲労から来たものだったんでしょうが・・・ あなたのことですから、ずいぶん身体を酷使し続けていたんでしょう?」 「・・・そうでもない」 「あなたならそう言うと思っていましたよ、ヒュンケル」 穏やかな、苦笑い。 「しばらくはこのままこの国に滞在していきませんか? あなた、こんな風に傷つき倒れたときくらいにしか 私に顔を見せてくれませんからねぇ」 「同じようなことを・・」 「?」 「昨日、エイミにも言われた」 「そうですか」 アバンは笑った。 「それだけ、あなたの帰りを待ち望んでいる人がたくさんいるってことですよ。ヒュンケル」 「・・・どうかな」 「素直じゃないんだから」 無愛想なヒュンケルにアバンが肩をすくめたのとほぼ同時に、 ドアを叩く音がした。 「はい」 アバンが返事をする。 「国王様、会議のお時間です!」 臣下の者がドアの向こうから叫ぶように言った。 「わかりました、すぐに行きます」 「はっ」 臣下の者はドアの向こうで一礼して、立ち去った。 「呼ばれちゃいましたねぇ」 アバンは頭をかいた。 「実は、仕事の途中で抜け出してきたんですよ」 声をひそめてひそひそと言う。 「そろそろ戻らないといけないみたいです」 フローラ様に怒られちゃいますから、と付け加えて アバンは笑った。 「・・・先生」 「どうしました、ヒュンケル?」 「感謝、してます」 ヒュンケルはアバンと目を合わさずに言った。 言葉にしたら崩れてしまいそうな想いを 伝えきれないそのままの 精一杯の、言葉。 アバンは驚いて2,3度まばたいた後に、また笑顔をつくった。 「それはこっちのセリフですよ、ヒュンケル。 ありがとうございます、本当に」 一礼。 顔を上げたアバンとヒュンケルはそこでやっと目が合った。 お互いに、笑っていた。 「さてと、じゃあヒュンケルもだいぶ体調回復してるみたいですからね、 安心して、私もお仕事頑張ってきますね」 ヒュンケルは頷いた。 ウインクをひとつヒュンケルに向かって投げて、 アバンは部屋を出て行った。 アバンの気配が完全に遠のくのを待って、 ゆっくりヒュンケルは起き上がった。 さぁ、と頭から血がひいて、手で顔を覆う。 まだ、体にうまく力が入らない。 それでも、行かなければならない。 ふらつきながら立ち上がって、服を着替えた。 と、ドアをノックする音が聞こえた。 聞こえた、とヒュンケルが思った瞬間にはもうすでに ドアは開かれていた。 「ヒュンケル、久しぶり!」 部屋に一歩入って、屈託のない笑顔をみせた、少年。 「・・・ダイ」 ヒュンケルは呆然としてダイを見た。 「もう、立ってても大丈夫なの?」 「ああ・・・」 「そっかぁ。でも、あんまり顔色がよくないよ。横になってた方がいいんじゃない?」 純粋な視線にヒュンケルは苦笑いした。 「・・・そうだな」 ヒュンケルはすべて諦めた、というように息をついて、 さっきまで自分が横になっていたベッドのふちに腰かけた。 軽く自分の隣をたたくような仕草をする。 ここに座れ、という合図。 ダイは軽く駆けてヒュンケルの隣に座った。 「もう体は大丈夫なの?」 「ああ」 「よかった!ヒュンケル傷だらけだったし、心配してたんだ、俺」 「そうか・・ありがとう」 身長差の、あるふたり。 ダイはヒュンケルを見上げるように話した。 「ごめんね、ヒュンケル」 「何がだ」 「俺、今日はヒュンケルのお見舞いに来たってのももちろんなんだけど、 ヒュンケルを見張りに来たんだ」 「見張りに?」 「レオナに、『ヒュンケルは少しでも体調が回復したら、すぐにカールを出て行こうとするだろうから 見張ってきなさいよ』って言われてさ」 「そうか」 声を出して笑ったヒュンケルを ダイは不思議そうに見つめた。 「姫は、何でもお見通しだな」 「出て行くって、本当なのヒュンケル?まだ病気、治ってないんだろ?どうして・・・」 「・・・俺は、あまりにも満たされすぎてしまったのかもしれない」 どういうこと?と言う目をしてダイはヒュンケルをじっと見た。 ヒュンケルは、笑っているような、悲しそうな、顔をしているように ダイには見えた。 「俺は・・あまりにも多くの、赦されない罪を犯したというのに いつもぎりぎりのところで命を拾い、目覚めるといつも、仲間に囲まれている。 ・・・もう何の役にも立たないこの身体に、お前たちは、 無事でよかった、と。帰って来い、と、言う。 同じことを望まれたいくつもの命を、俺がこの手でつみとってきたというのに」 「でも、ヒュンケルは・・・」 (罪を償うために、今まで戦い続けてきたじゃないか・・・) 「嬉しかったんだ、ダイ」 「え?」 納得いかない、という目をしたダイを、 ヒュンケルが見つめ返した。 「目が覚めたとき、お前たちがそばにいてくれて」 深みのある、優しい声。 ダイにはヒュンケルの心の中が見えるような気がした。 「俺はあまりにも満たされすぎた。 望んではならないことを望んでしまったから・・だから ここを出て行く」 ヒュンケルは穏やかな目をしていた。 ダイは何を言っていいのか、言葉につまった。 「でも・・俺・・・・・ヒュンケルは、ヒュンケルは幸せなの?」 しばらく間があいて、 それでもやっぱりヒュンケルは苦く笑って、言った。 「ああ・・十分すぎるほどな」 ダイは大きく大きく息を吸って、 笑った。いつものように。 「俺、ヒュンケルに会えてよかったよ。 みんなだって、きっとそうだ。 みんな、ヒュンケルが幸せになってほしいって思ってる。 それが、仲間だろ?」 「・・・・」 「俺、ヒュンケルを止めないよ。 でもいつだって、ヒュンケルが帰ってくるの、待ってる! みんなだって、きっと、そうだ・・・!」 ヒュンケルはダイの髪をくしゃっと撫でた。 「ありがとう」 ダイは頭の上からヒュンケルの声を聞いた。 手を離されて顔をあげると、 すでにヒュンケルは立ち上がっていた。 「みんな、には内緒にしておいてくれ」 ヒュンケルは唇の前に指をたてた。 「うん、わかった」 ダイは大きく頷いた。 ヒュンケルがドアに手をかけたとき、 ダイははっとした。 「あ、やっぱりダメだよ、ヒュンケル」 「?」 「俺がレオナにしかられる!」 ダイは照れくさそうに頭を掻いた。 ヒュンケルは声をたてて笑った。 いつも さようならなんていらない。
みんな、と、あたたかなせかい