内側を針で刺されたような。 ズキリとした鋭い痛みを感じた。 見れば小指の爪が割れて血が滲んでいた。 あぁ、さっき戦ったときの。 確かな記憶は無いが思いあたるふしはある。 傷んだ小指を見つめながらマアムはその場に座り込んだ。 『慈哀歌』
「この傷は、どこで」 左脇腹あたりに残る乾いた傷痕をなぞりながらヒュンケルが問う。 「武闘家になったばっかりの頃に大勢のモンスターに囲まれたことがあってね。・・・その時に」 一瞬の油断。と、いうより躊躇だった。 僧侶戦士として戦っていたときには間接的だった、相手を傷つける痛みが 自らの手で相手にダメージを与えることによって直接的に伝わってきた。 モンスターが吐き出した大量の返り血をあびた時の、自らの手に残る感触。 確かに自分が自分の手が相手を殺すのだと。 自覚し、恐怖し、躊躇した瞬間に負った傷。 ヒュンケルは啄むようにその傷痕に口付けた。 ゆっくり唇を離すと、紅い跡が残った。 「これからはもっと自分を大切にしろ」 「ヒュンケルの方が傷だらけじゃない」 「俺は男で戦士だからこれでいいんだ」 「私は女だけど武闘家よ」 ふ、とヒュンケルが表情を緩める。 「自分が傷つくことよりお前が傷つくことの方が痛むんだ」 頼むから、と続く言葉は目の奥で語られた。 頬に触れていた手を滑らせて銀色の髪に触れる。 「マアム」 惜しむようにそっと抱きしめる。 マアムはゆっくり目を閉じてキスを待った。 (これからはもっと自分を大切にしろ) 「また、ヒュンケルに怒られるかなぁ」 ひび割れた小指を見ながらマアムは呟いた。 「そんなにおキレイじゃないのにね」 自嘲して顔をふせる。 傷跡の残る脇腹に手が向かう。 ヒュンケルの残した跡はもう消えてしまっていた。 ヒュンケルの銀色の髪に触れる 同郷の幼子の手を引く 同じこの手でたくさんのモンスターの命を取ってきた。 ヒュンケルがたくさんの命を奪ったと 赦されない罪だと言い 一生涯かけてつぐない続ける罰だと言うなら 私だって同じものを背負うだろう。 私の手だって汚れてしまっている。 人間にとっての正義の刃で 人間にとっての悪を討ち取ってきた。 それを正しいと思うのは 人間にとっての都合でしかないのに。 モンスターにはモンスターの 魔族には魔族の正義があって。 彼らの悪は人間ということになるのか。 彼らは残酷で無慈悲だ。 それを理由に敵対してきたけれど。 同じように残忍な人間だっているというのに。 平和な世界をつくりたい すべての生きるものにとっての どこまでも理想論でしかない。 平和の下には犠牲がつきまとう。 ダイが消えたとき、それを痛いほど突きつけられた。 「ちっとも、おキレイじゃないわ」 背後の気配に気づいてマアムは振り返る。 「ヒュンケル」 ヒュンケルは何も言わずに手を差し出した。 マアムがその手を取ると、ぐいっと立たせた。 ひび割れた小指に気づいてじっと目を見つめる。 「あのね、あの・・・」 何か言い訳を、と思ったが言葉が出てこない。 ヒュンケルはそのまま無言でマアムの手を引き寄せて、 小指に滲んでいた血を舐めとった。 マアムは呆然とその光景を見ていたが、 行為の終わりにその身をヒュンケルにあずけた。 「ヒュンケル」 「・・・ヒュンケル」 「帰ろう」 ゆっくり、ヒュンケルはマアムの手を握りなおした。 慈愛の天使が涙を流す。 手の届く距離にある 愛しいひとたちを護るために。 限りなく闇に近い光が 彼女を照らしていた。
慈愛ゆえの哀しみ。